みなみの活字(@MiNaMi_runner)

活字です。好きなものを気まぐれに書いてたりすると思います

推しの話

自分には推しが居るんですけども

 

あ、その前に「推し」の感覚について説明しましょう

自分にとっての「推し」は好きのその先に居る存在です

括りとしては好きなんですけど、何かに惚れ込んで違う感情を抱くようになるというか

尊敬 憧れ あとまあ○○とか

 

好きな人結構居るんですよ 名前挙げ始めたらちょっとスペース要るぐらい

歌が上手いとか、ダンスが上手いとか、面白いとか、可愛い美しい顔が良いとか、色んな理由で

面白い←結構重要です 面白いから好きになり始めたこと結構あります

 

で、推しも最初から推しだった訳じゃなくて、好きから始まったので先に挙げた要素は大体あるんですよ 何なら全部持ってるなあの人は

 

じゃあ自分の中でどこに線引きというか、「推し」という現状唯一無二の存在になったかというと「言葉」なんです

あの人の書いたブログが好き

面白い語りで笑ったり、日常の報告でほんわかしたり、出演する物事に関して応援したりお疲れ様って思ったり

 

でも何よりも あの人の感性や表現とか お仕事に対する気持ちの部分で圧倒されて

触れると心に突き刺さって縛り付けられて

 

「そう思いたい」「自分の人生をそうありたい」そう思うようになった存在というか

だから「推し」になったんです

 

実は2推しと言いますか、限りなく推しに近い方がいらっしゃるんですが、その方も自分の人生に対する感性が素晴らしい方です

 

だから、言葉や感性っていう所が推し(と限りなくそれに近い存在)がそうなり得た所なのかなと

 

 

推しに対する気持ちの話

 

皆推しの事どんな風に見てるんだろうと

ある人は親心?ある人は恋?ある人は…わからない

自分にとっては、先に挙げた「憧れ」が強いかなと思っていて

何に憧れてるの 「これまで」に憧れてて

取り返しのつかない過去の事を憧れているといいますか

 

夢があったんですよ それと呼ぶのも鼻で笑ってしまう程に薄っぺらくて、手放してしまえるほど軽くて、時効を迎えた夢が

 

それを放棄してしまったから、夢を叶えるあの人に憧れて

憧れるだけの自分がまあ嫌で

 

 

 

嫌で…

 

 

 

全部自分勝手だ

この後書きたいと思っていたことは

推しという太陽の話

模倣とか、月光とか、心に空く穴の事とか

4月からずっと止まらない、苦しさとか、辛さとか、ネガティブを纏った応援の話

 

 

でも関係ない 推しは関係ない

少なくとも自分の気持ちは、推しへの感情は、憧れは、応援は全部自分勝手で

辛さも苦しさも全部自分勝手だから

全部自分のものなんだから

 

 

一日一日がまるで単調で、何にも繋がらなくて、長い長い人生のエピローグだと思うことがここ最近よくあって

何か特別なことがあった時だけが自分にとって意味のある事で、それ以外は全部塵だと思って

 

「劣等感」 自分の見てる推しは、毎日を大切に生きている

生きてきた毎日を糧に成長して輝いている

自分と物理的に同じ時間を生きている人がやってのける凄い事

自分はそれができてないからダメなんだって また辛くなって

 

でもそうじゃなくて

たったその日限りの記憶でも、一日使い捨てでも

楽しんだり、凹んだり、疲れたり、それを大切にして

毎日を溜めて いつか溢れることになっても足して

少しでもこの気持ちが楽になれば

少しでも、自分の大好きなことに明るさが戻れば

 

点を辿って、作れミライを

 

 

 

突発的な感情で推しへの気持ちがマイナス突破して、盛り上がってる所に水を差して(主観)、二日ぐらい遮断したんだから、答えらしきものを少しは見つけないといけないと思うんですよ。

このブログはその時その時の気分で残したメモなので、色々と滅茶苦茶な事になりましたけど、少しぐらいは二日前の自分の面倒を見られたかなって思います。

 

 

今日考えた事、きっと忘れると思うんですよ。忘れっぽいので。

でも、応援なんてもの自分勝手であるってことは忘れないというか、いつでも思い出せるようにしていたいというか。

思想として、確かに自分の武器として携えたいんです。

 

応援という行為は、自分が認識している限りの範疇では自分の為以外になり得ないと。

それを、受け取り手が受け取り手の主観で以て好意的に認識したときに初めて「誰かの為」になり得るのだと。

 

 

 

よし。

じゃあ最後に、もう一度自分の推しの話をします。

 

自分には推しが居るんですけども。

その人は、自分の心に空いた穴の奥に棲んでいて。

模倣して、影響されて。

自分の人生で、きっと滅茶苦茶大事な人としてこの先も居続けるんだと思います。

重たかろうが、好きの範疇を逸脱していようが、何年経ってもその気持ちの表現の仕方以外何も変わってないんだから変えられないわ。

 

 

自分には推しが居るんですけども。

その人は

 

 

林鼓子は、太陽だ。

私は、貴女に照らされていたい。