みなみの活字

活字です。好きなものを気まぐれに書いてたりすると思います

日記(2024/05/11)

いつだったか日光が暖かくて気持ち良くて、うわこれ芝生で寝っ転がって全身で浴びたいなーってなったから今日公園行って実行してきた。

シート敷いて、土曜だからかめちゃくちゃ子供で賑わってる様子を眺めながらテイクアウトしたバーガーキングを食べる。美味しかった。あんな大きかったかなワッパー。

特に何かを思うことはないけれど、子供がはしゃいでるのを見るのは悪い気はしない。目の前を通る子供(何歳だろう。未就学児かな)の頭の高さが座ってる自分とほぼ同じくらいで、こんなに低い所から見てるんだって驚いた。

視線がどんどん高くなっていく、それって世界が広がるって事なんだろうか。そんな感覚もう忘れてしまった。どんな気持ちだろう。

 

4月に書いたブログで一つお蔵になったものがある。

曲のバックグラウンドという話をしていたんだけど、書いてる途中で一日置いたら書けなくなって放置してる。

曲における作詞作曲者、歌い手を知り、その人たちがどんな人間であるか、どんな思いで何をきっかけに曲を作ったのか、そんな情報を味付けに曲を味わうという話、それを一切知らずに交通事故のように出会った曲に心奪われたいと思った話、そしてそれは自分が知っている曲ではもうできないだろうな、という話。

作品の後書きを読まない、という楽しみ方。作者個人の影響で作品の価値は変わらないという考え方。

ヨルシカのファンクラブサイトにあるコラムを読んで考えた話だった。一日置いただけで書けなくなるんだから、考えたことを吐き出すのはその日中が期限なんだろうか?

 

最近のテーマは「挑戦」。大層なものではなく、行ったことのないご飯屋に行ってみたり、いつも利用している美容院から変えてみようとしたり、髪型をいつもしてもらってるやつから変えてみようとする、そんな自分の選択肢を増やすような程度のことでしかない。

でも、そんな程度でもやってみなければこの先ずっと同じ選択肢を選び続けているだけな気がしているので価値はある、と思う。

何か始めたい、と思ってドラムスティックを買ったり、何かこだわりたい、と思ってハンズでペンを眺める。そんな日々で自分が変われば儲けもんだろう。

ただし挑戦には金がかかる。痛い。

 

最近、自分は他人への興味があまりにも薄いのではないかと思う。

上司と面談をした。こっちに戻ってきてから新しい店舗に配属となり、そこの店長とも話をした。

「アルバイトさんとのコミュニケーションをもっと取っていきたいね」なんて話になる。うん自覚してるよ。大事だとも思う。

でも難しいんだよな。なんでだろう。

悩みながら数日後。祖母が検査のために病院へ行くのに母と付き添った。

祖母が体調や近況の事で母と話している、その内容をなんとなくで聞いていた。

その日、自分から祖母に話題を振った事は殆どなかったような気がする。別れてから少し経って、「他人への興味薄くね?」なんて事を考えた。

受け身で話すことはある程度できる。でもこっちから話が振れない。それってそういうのが原因の一つなんだろうか。

 

関係ないけど、自分が一番恐れているのは嫌われる事。

昔色々あったのを引きずってるのだと思う。嫌われるのやだなーってずっと思ってる。

これを読んでいる貴方に嫌われてないかも不安だよ。

 

お金を払いその物の所有権を得る、というのはそれをどうしたって良いという自由を得る事なのだろうか。

もちろん間違ってないと思う。お金払ってるんだから、注文したご飯を残してしまうのも買った本を読まないのも自由だと思う。

でも無責任だと思う。

買ったご飯は食べるのが責任だと思うし、買った本は読むのが責任だと思うし、買ったイベントは行くのが責任だと思う。

それは誰に対してかって、お金出した人間に対して。大体は自分。

 

本を買った。

読んでみたいなと思って本屋でその本を見つけては買わないを3回繰り返した本だ。今日も5分くらい葛藤した末に購入を決意した。

さっきの話と少し繋がるけど、自分がお金を出した時に一番嫌なのは後悔する事。

本を読み終わった時の自分を想像して、全然理解できてないとかで買ったのミスったなーとかなるのがマジで嫌。

だから悩んだ。でも買った。読むのが楽しみ。